BIOGRAPHY
1958年8月6日
北海道滝川市に友成家の長男として生まれる。
<幼少時代>
小さい頃からスキーが得意。
雪が積もると、家の屋根に上っては飛び降り、上っては飛び降り・・・を繰り返して遊んでいた。
家の周りの雪かきを手伝い、こづかいを稼ぐ。
友達の間では野球が流行っていたが、自分は得意ではなかった。
近所に女の子が多く、ままごと遊びのお父さん役をやり、女の子と一緒に遊ぶ。
その頃のあだなは「ぼくちゃん」。
4歳の時に弟ができる。
5歳の時、男の子からいじめられているのを見た母親が心配し、ピアノを習わせる。
<小学時代>
相変わらずスキーが得意で、クラブのキャプテンになる。
回転や滑降などで、様々な競技に参加。 ヘルメットをかぶり、思いのままに滑る。
スキーは得意だったが、水泳が苦手な友成少年。
プールの授業は、「風邪をひいた」とうそをつき、サボっていた。
ピアノを習っていたこともあり、音楽の成績は良かった。
他に算数の塾に通う。
この頃は、アイドルの麻丘めぐみが好き。
6年生の時に初めて自分でレコードを買う。
ローリング・ストーンズのアルバム「Sticky Fingers」をレコード店で見つけ、ジーンズのジッパーを開けてみたいという 衝動にかられ、ジャケ買いする。
小学生の時は肥満児。
あだなは「ぶっちょ」。
6年生の時にピアノ教室をやめる。
<中学時代>
部活は得意なスキー部に入部。
本格的に練習に取り組み、肥満が解消される。
プロのスキーヤーになろうと思っていたが、 音楽の方に興味を持ちはじめ、友達とフォークギターデュオを結成。
フォークグループのNSP、吉田拓郎、CS&N(クロスビー,スティルス&ナッシュ)~後のCS&Y(ニール・ヤングが参加)~ 等をカバーする。
北海道のローカルラジオ番組「今日のトップテン」を聴き、ダイヤルリクエストに夢中になる。
リスナープレゼントのシングルレコードが当たり、嬉々とする。
<高校時代>
1年生の時にパンチパーマをかける。
中学時同様、スキー部に入部。
が、親に「スキーはお金がかかるから・・・」と言われ、素直に従い1年で退部。
この頃、巷ではロックが流行り、仲間でバンドを結成。
エレキギターを弾き始めるが、他に腕の立つヤツがいたために断念。
「おまえピアノを習っていたんだからキーボードやれよ!!」と言われ、キーボードに転向。
ディープパープル、イエス、EL&P(エマーソン・レイク&パーマー)等を聴きあさり、せっせとコピーする。
ジョン・ロード、リック・ウェイクマン、キース・エマーソンら、3大キーボーディストに憧れる。
お金がかかるという理由でスキーをやめたが、もっとお金のかかる音楽にのめり込んでいく。
ローランドのシンセ1号機をどうしても手に入れたく、新聞配達をしてお金を稼ごうとたくらむが、 父親に、「新聞配達をするのならもっと勉強しろ。楽器は買ってやるから!!」と言われ、 「しめしめ・・・」と働かずして手に入れる。
(しかも勉強もせず・・・)
授業の後にスタジオでバンド練習に励む。
2年生。
大好きな女の子に振られ、ユーミンの「ひこうき雲」を聴き、涙する。
札幌でジェフ・ベックのライブを観て、衝撃を受ける。
A・ROCK(アマチュアロックコンテスト)に、バンド名『NORTH LAND』で滝川代表として出場する。
同じ大会に旭川代表で安全地帯が出場。
玉置浩二はベストボーカル賞を受賞。
3年生の時に魚屋でバイトをする。
気のいい店のおばちゃんが言う 「ごはんだけ持っておいで」という言葉を素直に聞き、家からご飯だけを持参し、店のトロをお腹いっぱい食する。
いいバイトだった・・・。
<高校卒業後>
バンド仲間は、「内地に行く!!」と各自上京。
友成家の長男である自分は北海道から出ることができず、予備校に通う。
1浪の後、道内の大学に入学。
が、バンド活動がやめられず、ディスコで生バンドを始める。
この頃は、温泉地でも演奏活動をしていた。
時が過ぎ、バンドが解散。
「さぁ、どうすんべか~」と考えていたところ、知人から「東京でキーボードの欠員が出て、 オーディションをやるから受けないか?」と言われ、受けてみたら、見事合格。
東京へ行く。
それが、泉洋次&スパンキーだった。
「影の軍団」の主題歌、『狼よ一人で走れ』でデビュー。まもなく解散。
この後、角松敏生がデビュー。
バンドの一員になる。
・・・現在に至る。